明大発祥の地に記念碑 完成除幕式を現地で挙行 11月2日
明治大学発祥の地記念碑の除幕式が11月2日午前10時30分から、建立場所である千代田区有楽町二丁目(数寄屋橋・ニュートーキョービル横)で行われた。
除幕式には岡村理事長、宮崎総長、岡野学長をはじめ大学役員・関係者、創立者・岸本辰雄お子孫の方々、明治法律学校に上屋敷の使用を許可した旧島原藩主の子孫松平忠貞氏らが参列。同記念碑の除幕は理事長の合図で、総長、学長、松平氏、岸本氏の子孫を代表して岸本夏未氏と目良夏菜子氏の六名によってとり行われた。
式典終了後、場所を駿河台校舎大学会館八階会議室に移し、同記念碑建立に協力いただいた東京都や千代田区の役員など関係者を多数招いて祝賀会が正午から開催された。最初に岡村理事長が式辞を述べた。次に宮崎総長から木村茂千代田区長に同記念碑の目録が贈呈され、木村区長から、文化史跡として永く保持していきたいとの謝辞が述べられた。引き続き青木信樹校友会長から祝辞があり、岡野学長の音頭で乾杯、懇談に移り、同記念碑建設の模様がVTRで流され、校歌斉唱などで盛会のうちに閉会した。
同記念碑は、明大が建学の精神を顕彰、教育の近代化の道標を明らかにする趣旨で建立したもので、デザインは現記念館をイメージしている。
昨年11月に発足した「大学発祥の地」記念碑建立委員会で練られた案をもとに企画室が中心となって各種手続きが進められてきた。同碑建立を記念して「明治大学の発祥(はじまり)」と題するパンフレットが発刊され、式典当日関係者に配布された。
発祥の地に記念碑建つ 理事長 岡村了一
「天の下清涼の気漲る」11月2日朝、関係官庁を初め、ゆかりの深い方々のご参集を頂いて、明治大学発祥の地の記念碑除幕式が無事挙行されました。千代田区の数寄屋橋、もと大名屋敷のあと、今は日本有数の目抜き通りに面したところです。
わが明治大学は、今より116年前、明治14年(1881)1月17日、この地に明治法律学校として創立されました。創立者岸本辰雄(初代校長)、同宮城浩蔵、同矢代操の三先生は、明治初期深くフランス法学を学び、この地に学校を開くに当り、「権利自由」「独立自治」の思想を高く鼓吹して、わが国、わが社会の発展に力を盡す決意を満天下に宣言されたのであります。
そしてなお薄闇の中に置かれていた日本社会、日本民族の啓発向上のため、三名の締盟にはすこぶる強固なものがありました。とかく利に依る誓いはもろいものでありますが、義に依る誓いは時に一世をも動かすものであります。しかも彼ら三青年は本学創立の当時何れも未だ30歳にも満たぬ白面の書生でありました。
記念碑除幕式には、創立者初代校長岸本先生ご子息の方々、明治法律学校のため、
その旧上屋敷でありました建物の使用を許された元肥前(長崎県)島原の城主の御子孫松平忠貞前子爵外ご縁の深い方々のご列席があり、共に除幕の綱を引いて下さったのであります。
今回の記念碑建設には、地元千代田区の木村区長さんはじめ、東京都や千代田区の格別のご理解ご協力を頂き、また学内の諸権威者や職員皆様の力強い結集がありました。われらは明治大学大発展のための一契機としてこの記念碑を慈しんでいこうではありませんか。
今後のいかなる大事ともいえども、この一個記念碑建設のため私共のなし得た心と力の結集ある限り成し遂げられないものはありません。
ここの本学発祥の地記念碑建立に当たり関係者皆様に感謝を捧げ、願わくは天われらの志を汲まれて明治大学の揺るぎない発展のため、その力を添えられることを祈ってこの佳き日のご挨拶といたします。
(「大学発祥の地」記念碑建立委員長)
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